癒詩空間

詩・俳句の創作と、今日出会った心に響く言葉たちの紹介。言葉の力を信じて、言葉で素敵空間を生みだすブログです。

癒詩表紙グリーン

*詩人「たけまゆり」の主な活動実績

2004年の8月詩句集『泣くなら、ここで』(第21回新風舎出版大賞ポエトリー部門優秀賞作品)を出版。


ご購入はこちらからamazon.co.jpか、左サイドバーの連絡フォームにて直接お問い合わせ下さい。

出版社倒産により現在絶版ですが、いくらか手元に在庫がございます。


*俳人「瀬戸優理子」の主な活動実績

2011年に第29回現代俳句新人賞の佳作入選。 受賞作品「晩婚」はこちらからお読みいただけます。


2014年に第14回中北海道現代俳句賞受賞。 受賞作品「結婚指環」はこちらからお読みいただけます。


2015年に第33回現代俳句新人賞受賞。 受賞作品「微熱」はこちらからお読みいただけます。

本日の「新・北のうた暦」(北海道新聞朝刊)掲載の一句はこちら。執筆者は安田豆作さん。


びしびしと馬打つそばに仔がおれど 細谷源二


作者の細谷源二は、新興俳句弾圧による拘留を終え、終戦の年の7月、東京から北海道へ一家で入植。北海道開拓時代を担った人物でもある。


北海道を代表する有力俳誌となった「氷原帯」の初代主宰でもあり、道内の俳句革新の先達として精力的に尽くされた方でもある。


自身の過酷な農地開拓の経験や貧困生活を詠んだ俳句は、今読んでも激しく胸に迫るものが多い。


北海道へ嫁入りする前に、源二の代表句である「地の果てに倖せありと来しが雪」を読み、ちょっぴり先行きに不安を感じたというのも懐かしい思い出である。この句に触発されて、後年「覚悟とは雪の深さに沈む脚(優理子)」と詠むことになる。


でも、あの時代があったからこそ、北の大地にには国内有数の農業地域が広がり、日本の食を支えるまでに成長したのだ。「何を食べてもおいしい北海道」を享受できる有り難さを、改めて思う。


さて、掲句を紹介している安田豆作さんは十勝で獣医師をされている俳人だ。かつて、俳句集団itak(イタック)で『重種馬(じゅうしゅば)の生産の現状と馬の俳句』という講演もされており、馬とは切っても切れないお仕事に身を置く。

このときの講演録はこちら。馬俳句についての面白い分析も!⇒第16回俳句集団【itak】イベント参加日記★「馬俳句」「小学生俳句」バンザイ\(^o^)/




句の中に登場する「仔(こ)」とは「仔馬」のこと。馬の繁殖期が春のため、「仔馬」「春の馬」「春駒」「孕馬(はらみうま)」などは、春の季語となっている。ちなみに「鹿」も春の季語なのに、「牛」は季語になっていないと、酪農を営む俳人の鈴木牛後さんが言っていたっけ。牛にはコレといって決まった繁殖期がないのだそうだ。


生まれたての仔馬がそばにいるにもかかわらず、びしびしと打たれる母馬。農耕に、荷物を運ぶためにと貴重な「働き手」である馬には休む暇がない。


仔馬も甘えたいかもしれないのに、母馬に近づくことを許されない。そんな厳しい労働の一コマを切り取ると同時に、暮しのために犠牲にさせてしまっている馬の親子への慈愛の目が注がれているのも感じる句だ。


覚め際に馬の嘶き春の雪  優理子



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2017.03.27 11:01 | 北の歳時記 | トラックバック(-) | コメント(0) |

本日の「新・北のうた暦」(北海道新聞朝刊)掲載の一句はこちら。執筆者は橋本喜夫さん。


一切を海へ押し出す雪解川  伊藤玉枝


3月1日に始まったこの連載の最初の句が「大楡の双手のまねく雪解風(檜垣桂子)」だったが、本日は同じ「雪解」でも川のほうの季語を詠みこんだ句。


ここ数日の晴天、気温の上昇でぐんぐん雪解がすすんでいる北海道。あの厳しく、寂しい風情だった冬の景色はまるで夢の中のことだったかのように感じてしまうのは、私だけだろうか。春の歓びと同時に、あまりに急激に変化する視界、空気感にすぐにはついていけない戸惑いもあったりする。


掲句の「一切を(海へ)押し出す」の大掴みで雄大な措辞は、そんな今時期の北の大地の自然の様子と人々の気分にぴったりシンクロする。「眠り」の季節はおしまい。蓄えたエネルギーをもとに、躍動したくてウズウズしている。


山から運ばれてくる雪解け水によって、この時期の川は水面が上がり勢いよく流れている。それが「雪解川」。街中に設置された「流雪溝」と呼ばれる道路の下の水路からも、ジャバジャバという激しい音が聞こえてくる。「捨て」られた残雪が水となり、これも河川へと流れていく。そう、一切は海へ押し出されていくのだ。


押し出した後に、するりと春が入り込んでくる。雪がすべて消えるのも、まもなくだ。



あたらしい水あらまほし雪解川  優理子


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2017.03.26 16:35 | 北の歳時記 | トラックバック(-) | コメント(0) |
本日の「新・北のうた暦」(北海道新聞朝刊)掲載の一句はこちら。執筆者は久保田哲子さん。


春灯下柩に入れる玩具買ふ  勝又星津女

「春灯(しゅんとう・はるともし」が季語。私たちの暮らしの中で、灯りを照らさない季節はないが、春夏秋冬どれにも違う味わい・風情がある。


俳句をやらないと意識しないことかもしれないけれど、「春の灯」と「冬の灯」を見た時では、同じ「灯」であっても、微妙に受ける印象が違う。それは、季節の空気感かもしれないし、季節の息を吸って生きる私たちの側の精神の有り様が異なるからかもしれない。

こうした風情の違いを敏感に感じ取って、「夏灯」「秋灯」「冬灯」のどれも季語となっている。星にしても月にしても風にしても海にしても、春夏秋冬それぞれの違いを感じ取って、季語という共通の「美意識」に集約して、詩の言葉にまで昇華させていった歳時記は、まったくもって素晴らしい存在だと思う。


言葉を尽くして語らずとも、季語さえあれば十七音という短い詩型の中でも、雄弁に語ることが可能になる。このことを知ると、俄然、俳句を読むのも詠むのも楽しくなるのだ。

さて、掲句。哀しく切ない句だ。誰が亡くなったかは書かれていないが「玩具買ふ」とあるから、幼い子供であると想像がつくだろう。(限られた字数の中で「何を省略するか」というのは、俳句の焦点を絞っていくときの肝である。)


この世では、思いきり遊ぶことができなかった子へ、せめてあちらの世界では楽しく笑顔で遊んで欲しいと願う作者の心持ちがふんわりと浮かんでくる。やわらかく、あたたかみを感じさせる「春灯下」だからこそ、そうした作者の心情が浮かんでくるのだ。


また、Facebookでは、このコラムの執筆陣のひとりである五十嵐秀彦氏が「『かな』で止めちゃうと平凡なのに『買ふ』としたことだけで心に飛び込んでくる句になる」と言っているのに対し、執筆者の哲子さんも「『買ふ』と自分に引き付けて一歩踏み込んでいるところが『さすが星津女(せつじょ)さん』ですね」と返している。


なるほど。


「柩に入れる玩具」とモノに焦点を当てるのではなく、「玩具買ふ」という自らの行為のほうを作者は詠みたかったのだ。亡くなった幼子のために玩具を買う行為。生きている子のために買うなら、喜んでくれる顔を想像しながらの心浮き立つことだろう。しかし、弔いのために選ぶ玩具は…心の置き所に迷う。それでも、なにか持たせてやりたいと願う気持ち。


そんな言葉にならない想いを「春灯」と「買ふ」で表現しているのだ。


勝又星津女さんは、数年前に亡くなられたが、それまで北海道の有力俳句結社「北の雲」の主宰を務められた方だという。もともとは、蛇笏・龍太の「雲母」に依り、「北の雲」と並行しながら、「雲母」終刊後にの後継誌である「白露」「郭公」にも投句し、終生、蛇笏・龍太一門から抜けることはなかったそうだ。


そのあたりの背景や作句姿勢、俳句活動については栗林浩さんのブログに詳しいので、リンクを貼っておく。⇒俳誌「今」への寄稿ー勝又星津女のこと



俳句執筆陣の中では、唯一の女性である久保田哲子さん。(男だから女だからというのはナンセンスかもしれないけれど)女性ならではの視点で、北海道で活躍した女流俳人の句を、またぜひ取り上げて欲しい。



子を産んだ傷に縫い目や春灯  優理子


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2017.03.24 11:27 | 北の歳時記 | トラックバック(-) | コメント(0) |
本日の「新・北のうた暦」(北海道新聞朝刊)掲載の一句はこちら。執筆者は石川青狼さん。



幻氷を追って後ろの足抜けぬ  粥川青猿



「幻氷(げんぴょう)」が季語で、石川青狼さんの鑑賞文によると「オホーツク海の流氷が去って行く春先に流氷の上に虚像の流氷が現れる蜃気楼」とある。


流氷で冷却された空気の上に、暖かい空気が流れ込んでくることで、幻の氷が出現するらしい。しばらく見ていると虚像の流氷の形が変化する場合が多く「おばけ氷」とも呼ばれるとか。


「幻の氷」と「おばけ氷」。同じことを言うのでも、ネーミング一つで印象がかくも違ってくるおかしさ(笑)人は、見たいよう世界を把握しているということだ。だからこそ、「文芸」という豊かな生産物が産まれもするのだろう。


石川青狼さんが先週取り上げられた句「海明けや重たい辞令受けてくる(池長露声)」に登場する「海明け」を告げる春の風物詩が「幻氷」でもあるとのこと。季節のページをめくっていくストーリー展開になっているところが憎い。


そして掲句。先週の、ちょっとしんみりするような「海明け」の句とはまったくテイストの異なる滑稽味溢れる句だ。


海に「幻氷」が現れたと聞きつけ、海岸に出ていこうとした作者。しかし、アスファルトではない雪どけを迎えてたばかりの地面はぬかるんでいて、もう一歩前へ出ようとした後ろの足の靴が土の中から抜けなくなってしまったというのだ。


季語は使われていないが、「後ろの足抜けぬ」は「春泥」を暗示する内容。去りゆく冬の幻を追っていこうとするが、もう春が足元を捉えている。三寒四温、ゆっくりとではあっても、季節は一歩一歩前へ進んでいることを感じさせる句でもある。滑稽味だけではない、このあたりの重層的な表現構築となっている巧さは技術というよりも、北国の生活者という「生活実感」を丁寧にすくい上げている作句姿勢によるものだろう。


この句の作者の粥川青猿(かゆかわせいえん)氏は句集『冬の象』で2015年「第30回北海道新聞俳句賞」を受賞。「死者に盛る飯のてっぺんは吹雪」「海霧つつむ墓標となる木もならぬ木も」など、感銘句がたくさんある。道東らしい自然を背景に生死を見つめつつ「生きることへの賛歌」を輝かせている方だ。


私も同じ年に「現代俳句新人賞」を受賞したご縁で、その年末、道立文学館に並んでパネル展示していただいた。いつかお会いしてお話する機会があるといいなあと思っている。


あれが幻氷ふるさと遷してよりの今  優理子


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2017.03.23 11:11 | 北の歳時記 | トラックバック(-) | コメント(0) |
本日の「新・北のうた暦」(北海道新聞朝刊)掲載の一句はこちら。執筆者は五十嵐秀彦さん。


やはらかきゆゑにつめたき淡雪よ  佐藤冬彦


季語は「淡雪」。執筆者の五十嵐秀彦氏の解説によると「あわゆき」の表記は、古くは泡のようにやわらかく溶けやすい雪という形状の特徴から「泡雪」「沫雪」だったのが、平安期には消えやすさという特徴に儚さを重ねて「淡雪」と書かれるようになったらしい。

まだ俳句を始める前、大学の文学部では中古文学を中心に授業をとっていた。そのせいか、「あわゆき」は恋愛やいのち、運命の儚さを重ねる「淡雪」という表記の印象が私の中では今も強い。『源氏物語』で女三宮が「はかなくて/うはの空にぞ/消えぬべき/風にただよう/春の淡雪」と詠んだように。


「春の雪」よりも、さらに抒情的なので、せつなさを含んだ想いを謳いあげるときに使いたくなる季語と言えよう。それだけに、甘さに流れないように取り扱い要注意の季語かなとも思う(自戒をこめて)。


さて掲句。


「淡雪」以外はすべて平仮名表記となっており、「やはらかき」雪を視覚的にも表現している。「やはらかきゆゑにつめたき」と、「やわらかさ」と「つめたさ」を因果関係で捉えたところが作者の感性の発露である。


やわらかいものの中に潜む、すこしの「つめたさ」。冬から春への季節の移ろいはもちろん、私たちが日常で感得する「真理」みたいなものにもつながる認識かもしれない。


淡雪の眠りを誘う掌 優理子


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2017.03.22 11:08 | 北の歳時記 | トラックバック(-) | コメント(0) |